柵づくり

  • 2007/08/28(火) 22:18:54

竹の棒で、柵を作っている農家を発見。
話を聞くと、子供がさらわれるから柵を作っているそうです。





最近というか、任地に来たときから子供を誘拐して、海外につれていくという話を聞いたことがある。
海外の子供のない家に行ったり、家事掃除などをさせられるとか・・・。

最初は、そんなんこと冗談か本当にまれであると思っていたが、
ホントか噂か分からない。

まぎれもない事実は、
うちの近くのマダ人たちはマジで警戒している。

子供たちも親からそのようなことを聞かされているのか、
小さい子供は、日本人の自分を見て、マジで泣く子供、とっとと逃げる子供多いよ。
それを楽しんでいるのが、僕ですが。

マダガスカルの子供と外国人が遊んでいると親が心配そうに見られるかもよ。勘違されないように!!

マダガスカル鉄道

  • 2007/08/26(日) 22:08:53

8月18日から26日まで
アンブシチャ、フィアラナンツア、マナカラの街に行ってきました。
今回の大きな目的の一つが、マダガスカルで現在唯一、客を乗せる汽車に

乗ること。

鉄道は、中央高地にあるフィアラナンツア(Fianarantsoa)からインド洋沿

いにある町マナカラ(Manakara)までの177km。

Fiaranantsoaの標高1200mからマナカラまでの海抜数メートルのとこ

ろまで続いていて、植物から動物、人まで変っていくところが面白かった


これを書き留めるには、なかなかブログでは伝えられないので、
いつかホームページに掲載できればと思っています。



↑ マナカラに到着

↑ 途中の駅で

鉄道のたびのホームページです↓。

http://www.geocities.jp/takehikokawasaki/tanana/madarail.html

ホームページトップ↓

http://www.geocities.jp/takehikokawasaki/index.html

ファマディハナ

  • 2007/08/18(土) 21:55:54

今日は、ホームステイしている家族の親戚でファマディハナがあるので、一緒に行きました。


マダガスカルの中央高地の部族では、火葬でないので燃やさなく、遺体を布で巻いてお墓にいれて置くのです。
ファマディハナは簡単に言うと、お墓に入っている遺体を取り出して、新しい布で包み、そして先祖と再開を祝して宴会をし、またお墓に入れるという儀式です。

そのお墓が写真のように石作りで作られ、立派なものです。



よくこのようなお墓を町の中や郊外で見たりしていたので、ちょっと中を見てみたかったので、今回見れるかもと思いつつ期待していたら、
お墓の入り口から写真とってもいいよ。といわれ、カシャ!カシャ!。
そしてちょっと40歳前後の人が、中に入っていいよと言われ、ドシドシとは入らず、横になっている先祖に遠慮気味でそーと入って行き、写真をカシャカシャ。

中はやや涼しく、ややかび臭いと言うのとはちょっと違っていたが、死体が入っているのが分かりそうな匂い。

お墓の中の構造は、正面、両サイドに二段式ベットのような棚ができており、そこに約30遺体ぐらい横になっていました。
想像より多くの遺体に囲まれ、ちょっと好奇心よりも、こんなところに外国人が入っていいのか、しかも写真を撮りまくり。

日本だったらバチが当たりそうな感じだけど・・・。


↑お墓の中の写真

今回のファマディハナは、お墓の中が先祖(遺体)で一杯になったので、新しいお墓を作ったそうです。
比較的若い遺体のおじさんとおばさんの二体をその新しいお墓に移すためのファマディハナでした。

まず、孫、ひ孫たちが遺体を担ぎ上げて運びます。この孫たちはおじさんの写真が入ったTシャツを着ています。
なんとおしゃれで、息のあった孫たち。さすが。



その後、遺体をおじさんたちが新しい布に巻いて、お祈りと宴会が始まりました。

ここでおかしいことが、新しい布を遺体に巻くのは、家族の人でなく、どこかのおじさんたち。
さすがに、数年もたっている遺体なので汚れもひどいし、匂いもあるが、やはり家族が新しい布を巻いてあげるのが、先祖をいたわるためにもやるべきでしょう。

たぶん、このおじさんたちはいくらかもらってやっているはず。


↑写真は、布を巻いているところ。

布を巻いたのはいいのだけど、結ぶ紐を用意していなくて、街まで買いに行ったところは、やはりマダガスカル人らしい。

この後は、お祈りと宴会。

自分たちは、親戚の人が宴会の場所を用意し忘れたので、ここで退散。
おそらく、朝まで踊ったことでしょう。

ムルンダバマラソン その1

  • 2007/07/29(日) 20:58:24

マラソン当日

スタートは、6時予定。
この時期は一番寒い時期だが、日中は30℃は超えるので、なるべく早い時間にスタートと言うことだったが、
そんな予定は、ここマダガスカルではあくまでも予定過ぎない。

ということで、朝は3時に起き。
3時半頃にホテルを出て、受付の青年の家に向かった。
当然こんな時間にタクシーも少なく、途中タクシーを拾っていこうという甘い考えでいたのが間違い。結局、ホテルから青年の家まで徒歩で行った。(最初の甘い考え)

タクシーベーというベンツ社の乗り合いバスで、スタート地点へ向かったが、これがまた遠い。ゴール地点までバスで30分。前日、写真を撮ったところからさらに42.195km先のスタート地点へ!!
道も悪く、約2時間。

しかも、自分たち日本人はすでに走る格好をしていたので、Tシャツに半ズボン。さすがに日中は暑いといっても、朝晩はやはり冷え込んだ。
それに付け加え、マダガスカルは寒くてもバスの窓を開けて走るのが普通で、バンバン風が入ってきて非常に寒かった。

ようやくスタート地点に。
一時間遅れで到着したけど、2台目のバスがさらに遅く、また待ちぼうけ。
結局2時間遅れでのスタート。
この2時間が大きいことに気づくのは、走っている途中。

天候は皮肉にも真っ青の空。
マラソンにとって最悪のコンディション。
昨日の雲はいったいどこに行ってしまったのか。

写真は、スタート前に参加者の確認


ムルンダバマラソン その2

  • 2007/07/29(日) 07:14:35

7時48分スタート。
参加者の8割はマダガスカル人。日本人6人、その他の外国人6人ぐらい。
やはり、地元のマダガスカル人はスタートしたとたん、すごい勢いで行ってしまい、あっという間に見えなくなってしまった。

そんなマダガスカル人の背中をみながら、あのペースで行ったら死んでしまうとおもいつつ、マイペースを心がけ10kmを一時間で走る計画。
1kmを6分ぐらい。
最初の4kmが26分ぐらいで約2分ぐらい送れて、ちょっとペースを落としすぎたのかなと思って、ちょっとスピードをアップ。
10kmを1時間1分30秒。
次の5km地点を1時間33分とあまりペースが落ちていなかった。

しかし、ここまで取った水分コップ2杯ぐらい。

それまで、給水ポイントがあったが、走っている途中なのでコップ一杯飲むのが精一杯で、3箇所の給水ポイントを簡単に通り過ぎてしまった。

今回のマラソンはアンタナナリボ市内で観光業をしている日本の人(以下、Rさん)にサポートをしてもらっていて、16km付近でRさんとあった。そのときは、意外にも順調に走っていてあまりつらくなかったので、「大丈夫!!大丈夫!!」と行って走ってしまった。
このときこのRさんに進められたように水分を十分に取っておけば、この後の展開がぜんぜん違っていた。

そのあと、少し気が抜けてしまったせいか、鳥肌と寒気とのどの渇きがして、しばらく気合でがんばって走ってたら、めまいも少し出始め、まっすく走れなくなったときには「マジやばい」と思った。
完全に暑さと水分不足だと思ったときには、すで遅し。
一度脱水になった体は結局最後まで復活することはなく、体を痛め続けてくれた。

さすがに、しばらく走るのをやめ、次の給水ポイントまでがんばろうとしてたが、これまで5km間隔で給水ポイントがあったので、次の20kmのところにあると思って走ったり、歩いたりしていたが、20km地点ではまったく、給水らしいものがなく、さらに日陰のない道が続いていた。
かなりショックだった。

結局21km付近に給水ポイントがあった。この1kmは、人生で一番長く感じた1kmであった。
 
 このポイントでコップ3杯、ペットボトル500ml1本、だいたい1Lの水を飲んだがまだまだ足りず、というか、水を飲んだら直ぐに復活するわけでもない。
 しかたないので、しばらく日陰に休憩をしていたら、他の女性隊員に追いつかれてしまって、復活しないけど、負けじと走った。
 でも、多分、彼女はいっしょに歩いてくれたようで、彼女が走っていたら先に行っていたと思うが・・・。

 しばらく、徒歩で進んでいたが、ちょっと走れそうだったから走ったら、100mもしないうちに足がつり始めて倒れて、立てなくなってしまった。イッテー! 自分で治せない状態に。
 ちょうど良いタイミングで救急車が来てくれた。そして乗っていたマダ人ドクターにかなり強引に足のつりを直してくれ、テーピングまでしてくれた。

 こんなつらいことは早く終わらせたいという気持ちがあり、走りたかったが、走り出すと足がつり始めそうだったので、ここからは走ることを断念し、ひたすら歩くことを決断。


↑ひたすらこんな道を走っていました。
 日差しがキツイ。

 この後は、給水ポイントにいたマダガスカル人スタッフも引き上げ、しかも、距離数の看板までも撤去されてしまって、残りの距離も分からず、給水ポイントもなくなり、不安もあり、しんどい思いだった。

その後のことは、あまり覚えていないし、思い出したくもない。

途中、旅行会社の日本人のRさんに、残り9kmと言われたときは、かなりショックだった。こんな状況を残り2時間も続けないといけないかと思うと・・・

残り9kmといわれてから、自分の中ではかなり歩いたと思っていたのに、次にRさんに会って、残り5kmと言われたとのショック。
残り3kmぐらいと思ってたのに・・・・。
この2kmの違いはかなり、気持ち的にかなり落とされた。

ゴールに近づくにつれて、道が森から少し木が少なくなり、
草原のような感じになり、
地元のマダガスカル人が少しずつ多くなってきた。

こちらは、疲れていたけどマダガスカル人に辛そうな姿を見せられるかと思って、元気でないけどマダ語で元気という意味の「SALAMA」を連発。
最初は、疲れているから話しかけないでと思っていたが、子供たちの話していると気がまぎれ良かった。

残り1kmもないよと言われたときは、ちょっと嬉しくなって、走り出したけど、やはり、足がつりそうだったので、最後も徒歩で行くことに。

ゴール!!!!!

7時間5分 これまで、先輩隊員が走ってきた時間の最低!!

長かった。辛かった。
よく、リタイヤしなかったとと思った。

事前の予想ではゴールしたときはもっと感激すると思っていたが、意外と感激がなかった。
ほんと、終わってよかった!!の気持ちだけであった。

他の隊員も次々とゴール。
href="http://10.dtiblog.com/t/takehikokawasaki/file/P1090833.jpg" target="_blank">

↑最後の隊員がゴールするころには、日も傾いていた。
 バオバブ並木がきれいだけど、バオバブを見てる余裕はなかった。

来年はもう日本に帰ってしまっているので、もう挑戦できないのが残念。ちょっと悔しい。こんな筈でなかったのに・・・。

今回のマラソンは、たしかに準備不足と考えが甘かった。
これまで、マラソンで10km以上走ったことがないものが、この過酷なマラソンに挑戦したことは、確かに無謀。準備も適当。考えが楽天的だったかも・・・

最後にマラソンに応援してくれたU隊員、旅行会社のRさんとドライバーの人。ありがとうございました。

そして、一緒に参加してくれたみんなありがとう。
スタートしてから途中一緒に走っていないけど、みんなが走っているから自分も完走できたと思うよ。
みんな良くがんばりました。おつかれさまでしたー